ここでは、私がメールやメッセージ、オンライン講演会などで日本の皆さんからよく訊かれる質問に答えていきます。質問の構成は、スペイン在住のライター仲間、野良のHANAさんが担当してくださっています。HANAさん、ありがとう!
サイトについて
まず、サイトについて教えてください。このサイトを作られたきっかけは何だったんですか?
一番大きなきっかけは、大好きな人達が亡くなったことです。身勝手ですが、やはり身近な人、よく知っている人を急に失うと、戦争自体も身近になるんです。
私達のところでは、まずコロナがあって、それが治まりきらないうちに戦争が始まりました。コロナのときは、自分の周りにコロナで直接亡くなった人はいなかったのですが、戦争では、知り合いも従軍していますし、知人や友人も亡くなっています。それも、自分より若くて才能のある、これからを楽しみにしていたような人たちです。
私は奨学生としてリヴィウに来て、その後、アートプロジェクトのボランティアとして働いていたので、画家や作家、芸能関係の知り合いが多いんですが、そういう人たちも従軍したり、戦地で取材をしたりしていて、何人かが亡くなっています。亡くなったみんな、戦争がなければもっともっと生きていたはずで、もっと話して、もっと笑って、もっと色んな仕事ができていたはずなんです。
ヴィクトリアさんやダリさんのことですよね?
そうですね。彼らの死は本当にショックでした。ヴィクトリアが亡くなったのは2023年の6月の終わりで、もう何も手につかなくなって、すぐに仕事を辞めようと思ったんです。でも、辞めたいと伝える矢先に上司が先に退社することになって、あとを頼むと言われて辞められなくなりました。結局、年末に何とか退職届を出して、少し気が落ち着いたと思ったら、年明けにダリが亡くなったんです。もう、両手をもぎ取られたような心境でした。
ヴィクトリアさんとは親しかったんですか?
親しいというような関係ではないんです。フォーラムやプレゼンテーションで何度か話したことはありますが、彼女は私にとってはアイドルみたいな存在で、ただただ憧れていました。話しかけるのに勇気を振り絞ってましたよ。すごく綺麗な人だったんですが、イマ風の唇ぽってり眉毛くっきりタイプの美人じゃなくて、古風でフェミニンな美女でした。なのに行動が雄々しいので、宝塚の男役に憧れるような感じで見てました。
たしかに、写真を見ても、綺麗な方ですね
綺麗なだけじゃなくて、優秀でした。私と彼女は同じような仕事の経緯をたどっているので、余計にそれが実感できたんです。キャリアこそ似ているものの、全てにおいて、彼女は私よりはるかに優秀で、常に一歩も二歩も先をいっていましたね。
例えば、彼女は2001年か2002年頃にロシア語コンクールの代表に選ばれてモスクワに行ってますが、私もちょうどその頃大学の第二外国語でロシア語をとって、地元のロシア語コンクールに出ていました。
意外ですね、ロシア語をされていたなんて
学部時代はロシア語とポーランド語をやってました。そのコンクールは初級で出たので、優勝したんですよ。初級の出場者は10人くらいでしたけど。ちなみに、そのときの賞状が手元に残ってるんですけど、戦争が始まったとき、それを燃やして、画像をTikTokにあげようかと思ったことがあります。自重しましたけど。
ヴィクトリアが参加したのはもっと本格的なコンクールでした。彼女はもちろんリヴィウではウクライナ語でしたけど、語学のスキルが高いので、ロシア語も英語も流暢でした。
その後も、私がやっと地元のIT会社でPMアシスタントの職を手に入れたとき、彼女はもうプロジェクトマネージャーでしたし、私が何とかマネージャー職についたとき、彼女はもう会社勤めをやめて執筆に専念していました。そして、コンテストで賞をとったんです。
戦争が始まったとき、私はまだライティングマネージャーとして会社勤めをしていました。2021年にコンラッド賞をとって作家としての地歩を築いていたヴィクトリアは、ロシアの侵略が始まると戦争犯罪を記録する「真実の猟犬」という非政府組織に参加して、精力的に活動を始めました。そして、6月にドネツィクのクラマトルスィクで友人たちと食事中に被弾して命を落としました。37歳でした。
失礼な言い方かもしれませんが、生き急いでいるような方ですね
そうですね。そうかもしれません。何一つ先送りにしない人だったので、短いけれど、やり尽くした人生だったといえるかもしれませんね。
ダリさんも憧れの方だったんですか?
そうですね。言葉の一番良い意味で「ウクライナ的」な、ウクライナにしかいないような、魅力的な詩人でした。私はウクライナ人の笑いのセンスが好きなんです。どんな状況にあっても失わない、ロシア人とは全く違う、押しの強くない笑いのセンス。ヴィクトリアもそういうセンスのある人でしたが、私はダリに一番強くそれを感じていました。平和な時代になって、もっともっと彼のユーモアが光る作品が読めるようになるのを待っていました。
ヴィクトリアさんやダリさんの死で安成さんの生き方も変わったんでしょうか?
変わりましたね。私ははた迷惑なくらいマイペースな人間で、外国にきても、気が向かないことは先送りにしてきたんですが、先送りにしてたらやるべきことをやらずに死んでしまうかもしれないって思うようになりました。それが会社を辞めた一番大きな理由でもあります。
日本の皆さんに伝えたいことはありますか?
一人でも多くの方に、戦争の内実を知っていただきたいですね。オンラインで講演をさせていただくと、被害はどうなんですか?とか、医療は?食料は?とか、皆さん色々心配してくださるんですね。ただ、報道の影響だと思うんですが、それはたいていフィジカルなことなんですね。
でも、実際は、直接的な被害を受けてない人も病んでいます。社会自体が荒れてきていますからね。私が住んでいる所は、戦前は治安の良いところでしたが、戦争が始まってずいぶん変わりました。扇動屋みたいな人もいますし、戦争が長引けば長引くほど、社会が病んでいって、それにつれて人も病んでいくのを感じます。ミサイルやドローンの攻撃だけで人は死ぬんじゃないんですよね。
戦争について
西ウクライナに住んでいる安成さんからみて戦争の状況はどうなんですか?
良いとはいえないですね。戦争が3年目にはいって、もともと、厭戦感が広がっていたところに、ゼレンスキー大統領がザルジュニー総司令官を解任しました。ザルジュニーという人は、男性からも女性からも子供からもお年寄りからも人気がある軍人・政治家でした。若い女性にキャーキャー言われるようなタイプではなく、人間性を信頼して慕われている人です。日本の政治家でいうと、西郷隆盛みたいなタイプですかね。彼を解任したのは、士気の上で大きかったです。
あとは、戦争が始まった2022年と比べると、ポーランドとの関係が悪くなっています。私が住んでるのはポーランド国境に近い街ですので、この差は歴然としています。戦争直後の蜜月と比べると、雲泥の差です。これも戦争の行方に希望を持てない理由のひとつです。
日本よりウクライナにお友達が多いということですが従軍している方もいますか?
もちろん、います。ウクライナに住んでて、家族や友人や知人が一人も従軍していない人なんていないと思いますよ。つい最近も、当地で日本語教室を開いている大阪弁の得意な男の子が、「いま軍に入ってるんですよ」って。SNSが全然更新されないなぁと思って連絡したら。
他にも、生徒さんのお父さんや、同僚のお兄さん、お世話になった友人の息子さん。まだまだいます。数えないようにしています。数えてはいけないって言われるんです。
オンラインでお話してると時々サイレンが聞こえますが、あれが空襲警報ですか?
空襲警報のときと、解除警報のときと、どちらもあります。同じサイレンなんですよ。
空襲警報のサイレンと解除のときのサイレンが同じなんですか?
同じなんです。なので、夜中にサイレンの音で目が覚めて、急いで着替えたのに、スマホを確認したら解除だったっていうことが何度もありました。解除のときはテンポをスローにするとか、音楽にするとか、変えて欲しいですよね。一日に3度も4度も警報が出るときがあって、そういうときはサイレンが鳴ると、「あれ、どっちだったかな?」って一瞬迷いますね。
警報サイレンがなると、具体的にどうするんですか?
国民に推奨されている行動は、「サイレンが鳴ったら速やかに防空壕などのシェルターに避難する」ことです。私自身、会社のオフィスにいたときは前の戦争時に作られた防空壕に避難してました。ただ、全員ではありません。サイレンが鳴ってもオフィスに残って仕事を続ける人はいますし、その数は増えていました。
また、プロジェクトによっても違います。正確に言うと、上司によって、ですね。「いま全国的に警報出てるよね」って言っても、平気でミーティングを続ける上司もいれば、早朝に警報が出てなかなか解除されないと「今日は一時間遅れて始業しよう」と言ってくれる人もいます。
サイレンの頻度がたかく、その割に被害の数が少ないと、シェルターへの避難は徹底されなくなる傾向はあります。せめて、というわけではないですが、次善の策として、「二枚壁のルール」というのがあります。
「二枚壁のルール」って何ですか?
「二枚壁のルール」というのは、どうしてもすぐにシェルターに行けない場合は、外からの爆撃に備えて、二枚の壁の内側にいましょう、っていう推奨事項ですね。
うちの場合、キッチンの奥がバルコニーで、キッチンとバルコニーの間にドアがあります。バルコニーも窓で完全に閉められますので、窓とドアを完全に閉めて、キッチンの壁から離れた位置が、「二枚壁のルール」が成立する場所になります。
警報のとき、猫たちはどうするんですか?
自分が避難するときは、猫たちも連れていきますよ。キャリーに入れて、シェルターに。ただ、今は4匹いるので、一人では運べません。警報が出ている間は、エレベーターも使えませんので。
うちに誰かいるときは、2人で2匹ずつ運びますが、ひとりでいるときにサイレンが鳴ったら、「二枚壁のルール」が成立するキッチンかお風呂場に猫たちみんなといっしょに移動して仕事を続けます。
公共の防空壕には猫たちも入れるんですか?
基本的には入れます。地下駐車場型のシェルターの場合は、犬でも猫でも問題なく入れます。従来型のシェルターの場合、大型犬が入れてもらえなくて問題になったことがあります。
猫はキャリーに入れるのでほとんど問題にならないんですが、犬の場合、管理人が入れない場合が何度かあったんです。先日も、犬を連れた子どもたちが入れてもらえず、外にいた事例があって、SNSでも紛糾していました。
防空壕ってどんな感じなんですか?
防空壕というか、シェルターですね。シェルターにはいくつか種類があるんですが、私たちが普段利用するシェルターでいうと、大きく二種類あります。ひとつは大戦のときに作られた伝統的な、いわゆる防空壕。もうひとつは、地下駐車場です。
地下駐車場をシェルターとして使っているということですか?
はい、そうです。これが昨年くらいから問題になっています。地下駐車場は戦争当初からシェルターとして使われていました。ウクライナはここ数年、新建築の高層住宅が続々と建っています。そういう最新住宅には例外なく地下駐車場がついているので、そこを避難場所として使ってきたんです。
地下駐車場は火災には対応できますし、何と言ってもすぐに避難できるのが利点です。本格的なシェルターだと、うちの場合、一番近いところでも3,4分かかります。5キロの猫を2匹連れていたら、5分以上かかるでしょう。
いまは、巡航ミサイルやドローンの攻撃があるときは、事前にTelegramチャンネルなどで知らせてもらえるんですが、それがない場合、サイレンから1分以内に避難するように言われてます。5分もかかったら意味ないですね。
気をつけていることはありますか?
先ほども少し言いましたが、落ち込まないようにすることですね。そのために一番気をつけているのは、引きこもらないこと。とにかく、毎日一度でも外に出て、歩く。運動する。誰かと話す。笑う。それだけは欠かさないようにしています。
安成(あんなり)さんについて
安成さんご自身について教えてください。お仕事は何をされてるんですか?
ライターです。今年(2024年)の1月までは、サイト制作会社でライティングマネージャーをしていましたが、3月で会社関係の仕事は全部辞めました。いまは個人で所有しているオフィスでライティングコンテンツを提供したり、日本語教室や文化教室を運営したりしています。あとは、ファンドレイジングのお手伝いもさせていただいています。
ボランティアもされてるんですよね?
はい、ボランティアでも、私の担当は無料講演とファンドレイジングです。以前もやってたんですけど、戦争が始まってから、プロボノとして指導を受けて、始めました。講演はオンラインで、ウクライナの戦争についてお話します。一講演45分でご提供していますが、私が話しながら泣いちゃって時間がのびちゃうことも多いです(笑)時間と体力があるときは、炊き出しや課外授業も手伝います。
炊き出しもあるんですか?
炊き出しはよくありますよ。被災した建物、病院や学校などの公共施設でありますね。これは在留外国人のグループからお知らせが来ることが多いです。野菜や肉をひたすら切ります。
ファンドレイジングは今、「救済動物の家」のためにされてるんですよね?
はい、ここは完全に経営破綻して、所有者がいったん閉鎖を発表した後で、ボランティアたちが集結して存続まで持ってきたところです。
私も最初から参加してますが、ウクライナ人は戦争でボランティア慣れしているので、とても手際が良かったですよ。あっという間に数百人がTelegramのチャットに集まって、それをリーダーたちが技能に沿って小グループに振り分けていくんです。
今回は動物をモチーフにした手芸品を大量に提供できるというボランティアさんがいたので、まずは緊急フェアを開催することにして、そのグループを中心に働きました。記事にも書きましたように、2日間の緊急フェアで300,000フリヴニャ、日本円で120万円ほどの売上を出しました。
すごいと思いますよ!なかなか募金って集まりませんから
私もそう思います。日本の方ですと、120万というと小さな額のように思われるかもしれませんが、ウクライナの平均月収は20,000フリヴニャ程度、日本円で8万円くらいです。120万というのは平均月収の15倍です。「救済動物の家」はちょっと市のはずれにありますので、普通、手工芸品のフェアでそんなに集まらないんです。
リヴィウですから、評判の悪いオリハルヒ系のお金持ちには出向かず、地道に知り合い、知り合いの知り合い、知り合いの知り合いの知り合いといった形で集客した結果としては上々だと思います。
閉鎖を発表した時点で300万円近い借金があったんですが、フェア以外の募金やボランティアたち自身の募金をあわせ、5月中に完済することができました。
ただ、その後、市からも援助の要請があったんですが、こちらは400,000フリヴニャの一時助成金で、私達が望んでいた定額助成ではなかったんです。なので、いまは次のフェアの準備をしながら、ファンドレイジングのグループが個々に交渉しています。
救済動物の家についてはこちらに記事がありますので興味のある方はぜひご一読ください!
普段はどんな生活なんですか?
生活の基本は、戦争の前とそんなに変わりません。猫たちがいますから、子沢山の主婦みたいな生活です。朝起きて、家事をして、仕事して、また家事をして、仕事して、という。YouTubeでモーニングルーティンを撮っても全然華がない殺風景な生活です。
素朴な質問ですが、戦争が始まった時何故ウクライナに残ったんですか?
どうしてというか、ウクライナを退去するという発想は一度も生まれなかったんです。私の生活の基盤はウクライナにしかないので。父は私がウクライナに来る前年に亡くなっていますし、母もコロナのエピデミックの直前に亡くなりました。
母の死後、家も墓も処分してきましたので、日本に行っても行く所はありません。1,2ヶ月なら置いてくれる友人や知人がいますが、始まったからにはそんなにすぐ戦争が終わるとは考えられなかったので、日本に行ってもしょうがないしなぁって思ってました。友だちも、いまでは日本よりウクライナに多いですし。
ウクライナに住むと決めるまでに色んな国で暮らしましたし、色んな国の会社で働きました。色んな人と付き合ってきた30歳も過ぎた大人が自分の意志で住む国を選んで15年も住み続けてきたんですから、そこで戦争が起こったからといって「はい、さようなら」とは、ならないと思いますよ。
それに猫がいますので、そう簡単には動けないという物理的な理由もありました。うちの猫たちは病身で年寄りですので、頻繁に移動させるわけにはいかないんです。戦争の途中で保護猫も増えましたし、いっそう移動は難しくなりました。
ご家族は?
猫だけですね。人間はいません。コロナの流行が始まる前に離婚して、その後すぐ母が亡くなったんです。私は一人っ子で、父は既に亡くなっているので、日本にもウクライナにも人間の家族はいなくなりました。子供もいませんので、完全な天涯孤独です。そういう状況で戦争に入ったので、余計に猫たちと離れられなくなったのかもしれません。
寂しくないですか?
寂しいと思ったことはないんですよね。友だちはいるし、恋人もいるし、やりたいことはたくさんあるし、仕事もあるし。暇が無いから、寂しがる余裕もないのかもしれません。
日本にご家族がいれば、避難していましたか?
しなかったと思います。母が生きていた頃から、ほとんど家には顔を出していなかったので。もともと母は私が外国に行くのに反対してました。反対を押し切って出ていって、その癖困ったときは助けてもらってたんですから、国が危なくなったからって戻れないですよ。
怖くなかったんですか?
戦争そのものは、怖くはなかったです。今でも、怖くはないです。私のいる所は西ウクライナですので、爆撃が続くということはないんです。なので、怖いというのとはちょっと違って、不安なんですよ。常に不安な精神状態なんです。怖さというのは、恐怖の対象から逃げればとりあえずおさまりますが、不安というのは、逃げても払拭されないでしょう?
戦闘地の東ウクライナや南ウクライナなら、戦火をさけて避難すれば恐怖感はおさまるでしょうから、逃げる価値はありますよね。でも、避けるほどの戦禍がない状態で、例えば、猫たちを友人に見てもらって一時的に避難したとしても、不安感は全然変わらないじゃないですか。部屋は大丈夫か、猫たちは大丈夫か、友だちは大丈夫か、オフィスは大丈夫か、この先どうすれば良いんだろうと、心配ばかりして仕事が手につかないだけだと思ったんです。
むしろ、怖いのは精神的に落ち込むことですね。長年住んでる国がこういう状況になった以上、鬱になるのが一番怖いです。だから、知らない人だらけの日本に行くより、知り合いの多いこちらに残ってる方が精神衛生的に安心だと思ったんですよね。
ウクライナに住んで長いんですか?
最初に来たのが2007年ですので、17年目ですね。
ウクライナに住み始めたのはどういうきっかけだったんですか?
留学です。大学院の後期課程在学中にロータリー財団の奨学金をいただいて、こちらに来ました。まず、英語圏には全く興味が湧かなかったんです。西ヨーロッパもあまり好きじゃなくて。ただ、ウクライナにずっといるつもりは最初はなくて、ウクライナの次は北欧に行くつもりでした。
留学が終わった後もウクライナに住み続けることにしたのは、ごく単純に、美しくて住みやすい国だと思ったからです。一年間この国で暮らして、ウクライナの人は美しくてちゃんとしている人達だなと思いました。容貌じゃないですよ、所作やマナーです。一緒に暮らして、不愉快な思いをしたことがなかったので。
道を譲ったり、列を守ったりする礼儀と誠実さが、アメリカ人や西欧人、周辺国のポーランドやロシアと比べて、圧倒的に美しかったんです。ただ、これはウクライナ全土についていえることじゃなくて、私の住んでいる土地のせいなのかもしれません。
ウクライナに来たことを後悔していますか?
それは全然ないですね。
生まれ変わってもまたウクライナに来ますか?
来るというか、どうせ生まれ変わるなら、ウクライナ人に生まれたいですね。
ウクライナ人の方が日本人より好きですか?
別にそんなことはないです。ウクライナ人にも日本人にも、好きな人もいれば、苦手な人もいます。長く外国にいると良いことも悪いことも普通にありますので、◯◯人だから好きとか、日本人は好きじゃないとか、そういう考え方はしなくなりましたね。
日本に戻るつもりはないんでしょうか?
日本に「戻る」という発想は私にはもうないんです。行くのは、行きたいですよ、行ければ。戦争が始まって2,3か月たった頃、知り合いの何人かの方が、日本に避難するなら一時的な住居を用意しますと言ってくださったんです。心が動きました。でも、その頃には戦争がすぐに終わらないことは分かっていましたので、そんな散財をしている場合ではないと思い直しました。
その後、体調が悪くなった時も、警報の鳴らないところでしばらくゆっくりしたいと思ったことは何度かありました。ただ、現実的ではないなとすぐ思いました。日本に行って数ヶ月滞在し、帰国するには数百万かかります。ウクライナ人なら補助費が出ますが、日本人居住者には何も出ませんので。保護猫のボランティアにお金がかかりますので、日本に行くお金があるなら、それをボランティアさんの方にまわします。
第一、留守宅が心配です。うちには猫たちがいます。うちの猫たちは老齢でストレスに弱い子と、保護猫で他人を極端に怖がる子たちです。この子たちをおいて長期間家をあけられませんし、連れてもいけません。普通の旅行なら、友だちや生徒さんに世話を頼みますが、万が一のことがあったらと思うと、とてものんびり旅行していられません。
第二に、この土地を出ると、私が精神的にもたないだろうと思いました。例えば、日本に行ったら、私の心境を理解してくれる人はいないだろうなということは用意に想像がつきます。ここにいれば、友人や知人、ご近所の人たちと、愚痴を言い合ったり、励まし合ったりできますからね。
日本のことは気になりますか?
気になりますよ、もちろん。それに、日本語教えてますので、人から日本について訊かれても困らないように、日本のニュースはいつもチェックしています。
日本の情報はどうやって?
ネットニュースですね。
日本のテレビは見られるんですか?
見ようと思えば見られますけど、うちはテレビを置いてないんです。
ユーチューブではどんなチャンネルを見てますか?
お笑いです。大阪人なので。
戦争中でもお笑いチャンネル見るんですか?
戦争中でもというより、戦争が始まって半年くらいして、見始めたんです。ちょうどその頃、お酒に依存してたので、お酒に代わる憂さ晴らしとして。
私の地域では、戦争が始まって最初の数ヶ月はアルコールの販売が禁止されてたんです。その規制が夏頃に、徐々に緩和されて、スーパーで買えるようになったんです。アル中一直線でした。なけれなないで我慢できたんですが、戦略核の使用が囁かれるような不安な状況で、仕事は増える一方、そんなときにスーパーで簡単にお酒が買えるようになったら、そりゃ飲みます。反動で、昼間から飲んでました。
それで、会社の制度を利用してセラピーを受けたら、「ニュースを見る時間を減らす」「昼間からお酒を飲まないようにする」「人と話す」「運動をする」「笑える時間を持つ」ようにって言われたんです。素直に従いました。
どんなチャンネルを見るんですか?
特に決めてないです。決めると見過ぎちゃうので。好きなチャンネルを幾つか登録して、気が向いたのを一日30分まで。お休みの日は1時間まで見て良いことにしています(笑)かまいたちとかニューヨークとか見取り図とか霜降りとか。学生時代によく見てたさまぁ~ずとか千原ジュニアとかもみます。
あと、ダウ90000のコントは日本語の授業で使うので、毎日チェックしてます。彼らのコントは聞き取りやすく、テーマに広がりがあるので、外国人の日本語テキストにむいてるんです。
お笑い以外だと、リラクゼーションのチャンネルもよく見ます。昔は、仕事中ずっとヘッドフォンで大音量の音楽聞いてたんですが、耳鳴りするようになっちゃって、ヘッドフォンを禁止されたんです。
音楽は何を?
仕事中はRammsteinかRATMでした。もう1年位聴いてないです。ヘッドフォン無しでロックをかけると、猫たちが怒るんですよ。
外国生活のメリットは何ですか?
深く考えずに生きていけることです。外国人が深く考えないということではなく、外国人として生きるには現実的にすることがたくさんあるので、形而上学的な考えに浸る習慣はなくなるんですよ。
では、外国生活のデメリットは?
深く考えなくなることですね。現実的に考える癖がついてしまうと、想念を弄んだり、夢想に耽ったりすることがなくなってしまいます。それは残念な点ですね。もっと時間に余裕があれば別なんでしょうけど。
安成さんといえば猫ですが、いまお宅には何匹いるんですか?
皆さん、そう訊かれるんですが、たくさんいるわけじゃないんです。いまうちにいるのは、4猫だけです。
おひとり暮らしですよね?4匹でも大変では?
そうです。人間は今私ひとりなので、大変といえば大変ですね。以前は2匹で、戦争の年にあとの2匹を引き取ったんですけど、2匹のときと比べたら、大変さは倍じゃすまないですね。大人しい猫ばっかりなら問題ないかもしれませんけど、うちは全部男の子だし、病気の子もいるので、睡眠時間は減りました。
友だちや同僚から、それ以上増やさないように言われています。引き取り手がなくてずっと避難所にいる子もたくさんいるので、もう少し引き取りたいんですけど。
